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コントロール可能なものに向き合う、ということ

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コントロール可能なものに向き合う

仕事が変わって、開発は週末にちょこちょこ社外のプロジェクトに参加させてもらうだけになり、最近はもっぱら人や組織や制度について考える日々が続いています。
人事制度とか考えていくと、こういう人の集まりがいいよねとか、仕事ができるできないって何だろうとか、そんな話にもなるわけです。

いくつかあるけど「コントロール可能なもの、不可能な要素を整理して、コントロール可能なことに向き合う」ということはどんな仕事、どんな職種でも重要だなと。

部活にて

僕は大学でラクロスというスポーツをやっていて、そこで多くのことを学び、今の自分の思考にも根付いています。
ラクロスというスポーツは10vs10でサッカーくらいのコートで点を取り合う、まあまあかっこよくて結構大変なマイナーなスポーツです。

www.youtube.com

ラクロスに限らない話ですが、相手がいる中で勝ち負けがはっきりしている、という環境です。
ここでいかにして結果を出すか、ということを突き詰めて行くと、結果は自体はコントロールできないので、コントロールできる要素は何かを考え、いかにそれに注力するか、というところに帰着します。

「点を取る」ということは結果であり、そのためにできるのは「いい場所でシュートを打つこと」だったり「シュート自体の本数を増やすこと」だったり。
「相手を止める」ということは結果であり、そのためにできるのは「相手より先にいい体勢でいること」だったり「そもそも相手にボールを持たせないこと」だったり。

挙げていけばキリがありませんが、こんな感じで欲しい結果のからやることを導いてやってみる、ということの繰り返しでした。

もっと言えば結果以外にもコントロールできないことは沢山あって。
例えば相手が思ってもみないことを仕掛けてきたとか、雨が降っているとか。
この辺も文句垂れても仕方ないので、自分達にできることを考えます。

雨が降ってるならパスが難しくなるから投げる距離を短くしよう、とか。

全部一緒

で、この辺の話ってスポーツに限らず仕事、もっと言えば日々の行動全部で自分のパフォーマンスを上げるためには同じ思考が効くんだなあ、と思っています。
仕事なんて理不尽なことばっかりで、と言いたくなる日もありますが、まあその通りで、自分の思い通りにならない要素の方がよっぽど多い。
だからと言って自分にできることが全くない、なんてシーンもあまりなく、結局はそのやれることをどれだけやり切れるか、それを増やして行けるかしかないのだと。
よく言われる「まずは目の前の仕事をがんばれ」ってのはそういうことで、自分にできることがあるのにそれをやり切らず、ただこなすだけでは世界は何も変わらないと思われます。

自分以外の何かの要素がボトルネックになっていることもあるでしょう。
お客さんかもしれないし、社内の上長かもしれない。
もしかしたらトランプ大統領が新しい政策を打ち出したせいかもしれない。

その時に、自分は言ったけど変わんなかった、とかコントロールできない要因だった、というのは簡単だけど、結果は何も変わらなくて。
自分にできるのはボトルネックを改善するために、違う経路から伝えることかもしれないし、圧倒的なコミットメントで自分の発言のプレゼンスを上げることかもしれないし、他の人の仕事を巻き取って自分のコントロールできる領域を広げることかもしれない。

つまりはコントロールできることを整理して、どれだけそこに向き合い続けられるか。

スラムダンク勝利学

この辺の話は辻秀一さんという方のスラムダンク勝利学という本と、ご本人のお話から主にインプットされました。
スポーツに限らず、競争相手や外的要因が絡む中で結果を出したい、という時に、どういう思考で、どういう行動を取るべきか、という話です。

books.google.co.jp

スラムダンク知ってた方が入って来やすいので未読の方はそちらもぜひどうぞ。
ファンは多いので、話のネタが増えること請け合いです。

他にもこの辺の話に触れている本は多いと思います。

補足で

ここまでの話だと、んなこと言ったってどうしようもない人はいるもんだよ!という話ももちろんあるかと。
そんな場合はその人を変える、ということはできなくても、環境なりを変えるなりなんなりはコントロール可能、なのかと。
コントロール可能なものに本当に向き合い続けた結果、環境を変えるのが一番てっとり早ければそうすれば良いという話で。

情報がオープンになり、所属する企業やコミュニティがより選べる時代になっているからこそ、その流れは加速していくでしょう。 だからこそ逆に企業など環境を提供する側は、引き止め工作などで相手の行動自体をコントロールすることなどできないはずで、人に選ばれる環境を作ることにただひたすら注力する、ということがコントロール可能なことに向き合う、ということになるのだろうなあ、としみじみ思います。